書籍のレビュー・概要
反政府的言動のかどで逮捕されたゲルツェンは、流刑囚としてシベリアの入口にいる。「僕はウラル山脈の氷のような空気を吸った。その空気は冷たかった。しかし、それは新鮮で健康的だ。シベリアは新しい国だ。独特なアメリカだ」。五年にわたって余儀なくされた流刑生活が二十代の青年にもたらしたものとは。(全七冊) ■ゲルツェン『過去と思索』(全7冊)に寄せて ロシアと西欧、公と私、過去と現在──境界を超えて思索を続けるゲルツェンの内面から放たれる圧倒的な熱量は、いまなお読む者に新たな思考力を与えてくれる。凄惨な暴力が世に蔓延る時代に、言論、人間、社会における抑圧からの自由を追求する意味を、ゲルツェンの代表作とともにもう一度考えたい。 ──奈倉有里さん ■訳者からのメッセージ 岩波文庫の「青帯」にはプラトン、アリストテレス、老子、孟子など、文字通り古今東西の大思想家たちの著作が綺羅星の如く並んでいますが、この度、ロシアの思想家として久しぶりに、ゲルツェンの作品『ロシアの革命思想』と『過去と思索』が、この列に名を連ねることになりました。嬉しいことです。 ゲルツェンは1812年、ナポレオンのロシア侵攻の前夜にモスクワで生まれ、パリ・コンミューン(1871年)の前夜たる1870年にパリで没しました。享年57でした。1847年、ロシアを出国したゲルツェンはそのまま帰国せず、ロシア史上初の政治的亡命者となりました。 ピョートル大帝がロシアに近代文明をもたらし、エカテリーナ二世がロシアに近代文化をもたらしたことになぞらえれば、ゲルツェンが一貫して追求したのは、ロシアに「近代人」を創り出すことでした。彼にとって「近代人」とは「自立的な自己意識を持った人間」のことです。彼自身はそのような者として、「人間の尊厳と自由」の旗印を高々と掲げ、専制と農奴制の国・ロシアと横暴な「資本」の支配する西欧を駆け抜けました。 ゲルツェンはドストエフスキーやトルストイのような文豪ではなく、また、バクーニンのような革命の使徒ではありませんでしたが、よく考え、そして、よく生きた人でした。彼の思想には「体系」や「理論」はありません。彼はむしろ、そのようなものを積極的に拒否しました。それというのも、彼の関心はそれぞれの時代、それぞれの社会を生きる一人一人の人間の喜怒哀楽にこそあったからです。人々の多種多様な生を抽象的・一般的な「理論」や「体系」の中に押し込めてしまうことが、彼には人間の生そのものを貶めるように思われたのです。 ゲルツェンは預言者ではありません。彼の思想に出来合いの答えを求めることはできません。彼の思想に「教え」を求めようとするならば、人は、所詮、自分のありとあらゆる知的・感覚的能力を総動員して、それぞれの時代や社会に立ち向かう他はない、という潔さでしょう。自叙伝『過去と思索』はそのように生きた一人の人間の生涯の記録です。 ──長縄光男(『過去と思索』訳者)