書籍のレビュー・概要
ジョージ・オーウェルが一九三六年に植えた薔薇の生き残りとの出会いから、見過ごされてきた彼の庭への情熱に光をあて、精神の源を探るソルニット。豊かな思索の旅は、オーウェルの人生とその時代から、化石燃料としての石炭、帝国主義や社会主義と自然、花と抵抗をめぐる考察、薔薇産業のルポ等を経て、未来への問いへと続く。 二〇二二年九月八日のこと、英国王エリザベス二世が死去した。そのニュースが報じられると同時にメディアを席巻したのは、バッキンガム宮殿の上空にかかる二重の虹の写真だった。SNSを中心に、人びとは虹の意味をさまざまに読み込んだ。虹は哀悼や弔いのしるしだという基本的な読みがあり、この世を去ってもなお女王が国民とともにあることを示していると言う者もいれば、二重の虹は女王から息子のチャールズ三世への王位継承の象徴だという解釈まであった。自然現象としての虹は、空気中を漂う水滴に太陽光が反射したり屈折したりすることで形成される独特の模様を指しているが、この日の虹は、女王を讃え、その死を惜しみ、なおかつ王制のもとでの英国のさらなる繁栄すら表すような、政治的な虹だった。それは王室廃止論や植民地主義の延長線上にある英連邦の構成といった、女王の死が不可避的に喚起するはずの数々の事柄を、一時的にしろ覆い隠していた。 自然の政治性、それはレベッカ・ソルニットによる本書『オーウェルの薔薇』の主題でもある。多作なソルニットの作品のなかでも、本書はどちらかといえば、『ウォークス 歩くことの精神史』(左右社、二〇一七年)の系統に属しているといえる。すなわち、特定の主題(たとえば「歩行」)を持ちながら、時には大胆に脱線しつつ縦横無尽に古今東西の事象について深い思索をめぐらせるタイプの著作である。『オーウェルの薔薇』もまた、ソルニットが敬愛する作家のひとり、ジョージ・オーウェルの伝記の体裁をなかばとってはいるが、オーウェルとは関係のない事柄に話が及ぶこともしばしばだ。そのような思考のそぞろ歩きを経て小宇宙のような多彩な広がりを見せながらも、一冊の本としての統一感は保たれているという、ソルニットの書きぶりの真骨頂がそこにはある。さらにいえば、自然とは、ソルニットが繰り返し著作のなかで採り上げてきた主題でもある。(略) そんなソルニットがこの最新作で注目したのは花、それも薔薇だ。花のなかでも薔薇にはどこか特別なところがあるという思いは、広く共有されているものではないだろうか。薔薇は古くから人びとを魅了し、多岐にわたる品種改良の歴史を経て、世界中で身近な存在でありつづけている。それは文学や絵画などの芸術において繰り返し採り上げられ、時に美そのものの象徴のようにも考えられてきた。美しいもの、自然であるもの、それらは人間の所業であるところの政治に対して超越的な価値を持つと考えられがちだ。だが本書を通じてソルニットが明らかにしているのは、薔薇は、そして自然は、政治的でもあるということだ。 (ハーン小路恭子「訳者解説1」より) 『オーウェルの薔薇』と、タイトルに作家ジョージ・オーウェル(一九〇三―五〇)の名前が冠せられているのだが、著者の断り書きによれば、本書はこれがすでに多く出されているオーウェルの「伝記」の書棚に付け加えられるものではなくて、彼が一九三六年に薔薇の苗木を自宅に植えたエピソードを「取っかかり」とした「一連の介入(a series of forays)」だという(一九)。「介入」と意訳した原文のforayは、字義どおりに言えば「(不慣れなことへの)手出し、ちょっかい、進出」(『ランダムハウス英和大辞典』第二版の定義より)ということで、もっと古くからある「略奪的侵略」の語義から派生して、本来の専門領域から逸脱して、不案内な問題に突入・介入するというニュアンスがある。いまでは少なくないオーウェルの伝記作者、研究者を念頭に置いて、「専門外」の著者によるオーウェル論を本書で展開しているとする謙遜をこの語で示唆していると見てもよいだろう。 写真家ティナ・モドッティの活動を焦点とする章(Ⅲ―1、5)、スターリンによるソ連における「新ラマルキズム」推進の悲惨な顚末を扱った章(Ⅳ―2、3)、コロンビアの薔薇工場の潜入ルポルタージュ(Ⅵ―2、4)などがそうだが、本書はオーウェルと直接には関わらないトピックを多くふくみ、一般的な見方からすればひとりの人物の伝記とは呼べない著作であるのは確かで、その点でソルニットの前述の断り書きはそのとおりだと言える。 とはいえ、本書はオーウェルの生涯と仕事についてソルニットならではの独自の視点を提示しており、オーウェル研究という枠のなかで見てもきわめて貴重な貢献を果たしている。自分の住処の庭に薔薇の苗木を植えたひとりの作家、というタブローを著者は本書の出発点にしている。没後七〇年以上を経ているが、冷戦初期に作られて以来いまも根強くあるステレオタイプ的な「オーウェル」像に、ソルニットはこの「薔薇を植えるオーウェル」というイメージを対置してみせて、そうした紋切り型のイメージに馴染んでいる人から見ればおそらく意外と思われる作家像を描き出している。(略) 確かにオーウェルは喜びを(また美的なものへの積極的な反応を)多く語っていたのに、全体主義・権威主義体制の批判者としての政治作家オーウェル像の肥大によってその側面は影が薄くなっていた。そこに光をあて、「喜ばしきことどもの明細目録」(Ⅶ―1の章題)を細かく検討し、それを政治作家オーウェルの仕事と併せ見ることによって、より十全な作家像を示し、オーウェルの生涯と仕事がいかに私たちにとっての世界への対し方にかかわりを持つかを示唆している。それらの喜びのなかでオーウェルが最上位に置いていたのが「ガーデニング」すなわち庭作り、庭いじりであった。 (川端康雄「訳者解説2」より)